ある夜、文王は空を見上げながら、太公に問うた。
文王「ねえ、太公。天下を治めるって……いったい、聖人は何を拠り所にすべきなのかしら?」
呂尚(頬杖をつきながら)「んー、それね、めっちゃ深い問い。でも──大事なのは、“何を抑えよう”とか“何を気にしよう”って構えすぎないことなの。余計な心配や無理な締め付けをしなければ、万物って自然と調和していくのよ。」
文王「まあ……無理に抑えたりしなくても、秩序が生まれるものなのね。」
呂尚(少し微笑んで)「そうよ。いい政治ってね、民が“あ、なんか暮らしやすくなった!”って思うけど、誰も“いま政治が行われてる!”って意識しないくらい自然でさりげないの。まるで季節が移り変わるようにね。」
文王(そっと一歩近づいて)「つまり、聖人はそんなふうに、無理なく世を導くもの……?」
呂尚「そう。しかもね、そういう道を極めた人は、“手に入れた!”って思った瞬間には、それを見せびらかしたりしないで、そっと心にしまうの。 で、それを実行しても、“今から施政しまーす!”みたいなドヤ感なし。民が気づかないうちに世の中が良くなってる──それが理想なの。」
文王「……ああ、まるで天のように自然で、何も言わずとも万物を育てるような──」
呂尚(真顔でうなずき)「そ。天は“私は太陽です!”とか言わない。でもみんな太陽の恩恵を受けてるじゃん? 聖人もそれと同じ。自分を語らないことで、逆に一番明らかになるんだよね。」
文王「……なんて、深いお言葉……」
呂尚「あとさ、昔の聖人たちはね、人を集めて“家”を作って、それを積み重ねて“国”にして、さらにそれが“天下”になる──って段階的に社会を育てていったの。 で、各地には信頼できる人を任せて、風俗に合った教育をして、争いを正して、民の生活を落ち着かせたの。みんなが“自分の国が一番好き!”って思えるようにするのが大事だったのよ。」
文王(感動したように)「それが“天下大定”なのですね……!」
呂尚「でもさ……愚かな支配者って、“正す”ことができないの。だから民と争って、刑罰がどんどん重くなる。そうすると民は不安になって、国から逃げ出す──これ、マジで国家の大失敗コースだから。」
文王「まあ……政が繁雑すぎて、民が生きづらくなるのですね……」
呂尚(そっと指を立てて)「天下の人心ってね、“水”みたいなものなの。せき止めれば止まるし、開けば流れる。落ち着かせれば澄みきる── その本質を知ってる人だけが、“流れ”の始まりを見て、“どこに向かうか”をちゃんと見通せるの。」
文王「では……どうすれば、天下を“静か”にできるのかしら?」
呂尚「天には“変わらない法則”があって、民には“変わらない暮らし”がある。 聖人は、それを乱さず一緒に守っていく──それが“静”の力よ。 もっとも優れた政治は、民の流れに逆らわず、ただ“在る”だけ。 次に良いのは、民を育てて導く“化”の道。 民が自然と善に向かっていくように仕向ければ、天は無為でいても物事は成り立つし、民は助けがなくても豊かになる。 ──それが、真の“徳”による統治ってワケ。」
文王(そっと微笑み)「太公……そのお話、まさに私の心にぴったりと重なります。 朝に聞いて、夜に思い、決して忘れることはありませんわ。いつも心に留めて生きてまいります……」
太史編(元気に登場)「今回は“文啓篇”! “静”と“水”をテーマに、天下を治めるコツを教えてくれるよ〜!」
まとめ! 「文啓篇」は“静”と“水”をテーマにしたお話。 派手に動かなくても、流れに乗って自然に導く──そんな「無為の統治」が一番つよいってことなの!