古の時代、聖なる統治者は仁愛(人々を慈しむ心)を政治の礎とし、義(正義や道徳)をもって国を治めた。これこそが「正」と呼ばれる真の政治である。仁と義を貫くことで、民は心から君主に帰服し、国は揺るぎない安寧を築いた。
しかし、正しい統治だけでは目的を達せられない時、君主は権(権謀や力による支配)を用いた。この権は決して軽々しく振るわれるものではない。それは戦の炎の中から生まれ、仁や中庸(穏やかで調和の取れた態度)からは生まれない。戦を通じて初めて、国の威厳と力を示すことができるのだ。
戦とは、ただ破壊するものではない。悪を滅し、民を救うための手段である。ゆえに、悪人を誅(罪を裁き、殺す)して万民を安んじるならば、そのような殺戮は許される。他国の民を苦しみから解放し、愛護するためにその国を攻めるならば、その戦は義に適う。さらには、戦の嵐を起こして戦乱を終息させるためならば、剣を振るうこともまた正しい。
仁ある君主は、国内で民の愛戴(深い敬愛と支持)を得ることで、国を守る力を蓄える。対外では、威厳(堂々とした風格と力)をもって敵を圧倒し、勝利を掴む。これが、仁と義が織りなす統治の極意である。
戦を起こす際の道は、厳然たる節度を保つことにある。
このように、戦は民への深い愛情に基づき、節制をもって行われるべきなのだ。
国がどれほど強大であっても、戦を好めば必ず滅亡の道を辿る。一方で、天下が太平であっても、戦の備えを忘れれば、必ず危機が訪れる。ゆえに、天下が平定された後でも、君主は春に蒐(しゅう:狩猟を兼ねた軍事訓練)を行い、秋に狝(せん:同様の訓練)を実施する。諸侯もまた、春には軍を整え、秋には兵を練る。これらは、戦の備えを決して怠らないための儀式である。平和の裏には、常に戦の影が潜むことを忘れてはならない。
古の戦いには、礼と徳が息づいていた。
これら六つの徳――礼、仁、信、義、勇、智――を民に教え、国の規範とした。これが、古来より伝わる軍政の道である。
古の聖王は、天の道に順い、土地の特性に適った施策を講じ、徳ある者を官に任じた。官職を明確に定め、爵位(貴族の位)に応じた俸禄(給与)を分け与えた。これにより、諸侯は心から帰服し、遠方の異邦も慕って服従した。争いは消え、戦は止み、聖徳による理想の治世が実現した。
やがて賢王の時代になると、礼楽(礼儀と音楽による教化)や法度(法律や制度)を整え、五刑(五つの刑罰)を定めて国を治めた。不義を働く者を討つため、軍備を整え、剣を手に正義を貫いた。
聖王や覇者は、六つの方法で諸侯を統治した。
さらに、利害を共有し、大国と小国が互いに敬い合うことで、諸侯の和を保った。
不義を働く国に対しては、冢宰(最高執政官)が諸侯に命じ、軍を動かした。その際、罪状を明らかにし、天地神霊と祖先に告げ、征伐の正義を宣言した。
軍に布告された命令は厳格だった。
不義の首謀者を誅した後、天子と諸侯は国を立て直し、賢者を登用し、新たな君主を立て、官職を整えた。これにより、正義の戦が完結し、国は再び安寧を取り戻した。