戦を指揮する道は、兵力の多寡(たか:多さや少なさ)に応じて異なる。
寡兵は変化自在(へんかじざい:柔軟で予測不能)に出奇制勝(しゅっきせいしょう:意外な策で勝利を収める)し、衆兵は進退を稳重(おんじゅう:落ち着いて重厚)に保ち、堂々たる戦いを展開する。
衆兵で寡兵を相手にする場合、遠方から包囲し、故意に缺口(けっこう:囲みの隙間)を残して敵を逃がすか、分割して輪番(りんばん:交代で)攻撃する。寡兵で衆兵に対峙(たいじ:立ち向かう)する場合、虚勢(きょせい:見せかけの勢い)を張り、敵の意表を突く策で勝利を掴む。
敵が有利な地形を占めれば、旗を収め(軍旗を下げる)、偽装退却で誘い出し、反撃に転じる。敵が衆兵なら、状況を洞察(どうさつ:深く見抜く)し、包囲戦に備える。敵が寡兵かつ慎重なら、一時退却し、隙を突いて殲滅(せんめつ:全滅させる)する。これが、戦の機略(きりゃく:巧妙な策略)である。
戦場では、地形を活かすことが肝要(かんよう:極めて重要)である。
これにより、軍は地形の利を最大限に活かし、敵を制する。
戦に臨む際、まず陣を構え、敵の動向を観察する。敵が動かぬなら、鼓(つづみ:戦闘開始の合図)を鳴らさず、敵主力の行動を見極める。敵が仕掛けてくれば、兵を屯(たむろ:集結)させ、隙を伺う。
戦術は、以下の観察に基づく。
敵が疑心に揺れ、準備不足、戦意喪失、規律乱れる時を突き、攻撃を加える。敵の軽進(けいしん:軽率な前進)を阻み、企図(きと:計画)を挫き、恐懼を突いて殲滅する。これが、戦の機敏な対応である。
敗走する敵を追う際は、休まず追撃し、敵が途中で停止すれば、伏兵(ふくへい:待ち伏せ)を警戒する。敵の都城(とじょう:主要拠点)に迫る時は、進軍路を確保し、退却時には後退策を予め定める。行動が早すぎれば兵は疲弊(ひへい:疲れ果てる)し、遅すぎれば士気は怯懦(きょうだ:臆病)に傾く。休息が長すぎれば懈怠が生じ、休息なく進めば疲弊する。適度な休息と行動の均衡が、軍を勝利に導く。
戦に臨む道は、厳然たる規律に貫かれる。
これらが戦の基盤であり、軍の命脈(めいみゃく:生命線)である。
戦の方法は、義(ぎ:正義)と才徳に応じて等級を定め、適切な職位を授ける。卒伍(そつご:五人一組の小隊)を編成し、行列を整え、縦横の隊列を正し、名実(めいじつ:名と実績)が一致するかを厳しく点検する。これにより、軍は秩序を保ち、戦力は最大限に発揮される。
陣を構える際、立陣(りつじん:立って構える陣形)では身を低くして進み、坐陣(ざじん:座って構える陣形)では膝行(しっこう:膝で進む)で移動する。兵に畏怖(いふ:恐れ)の心が生じれば、隊形を密集させ、危機に際しては坐陣で臨む。遠方の敵を観察し、恐れを払拭し、近隣の敵には目もくれず、戦意を集中させる。これが、戦場の統御の要である。
戦車が騒ぎ、馬が乱れ、兵士が恐れを抱けば、隊形を密にし、跪陣(きじん:膝をつく陣形)や坐陣で臨み、将は膝行で進み、穏やかな言葉で兵を励ます。兵が休息し、食事し、または衔枚(かんばい:口に木片をくわえて静粛を保つ)する際も、坐陣で統制し、移動は膝行で行う。
戦場では、顧盼(こぼん:ためらう様子)を禁じ、殺戮(さつりく:厳しい処罰)で規律を正し、喊声(かんせい:大声での叱咤)で前進を促す。しかし、兵の恐れが過度なら、殺戮を控え、和顔(わがん:穏やかな態度)で立功(りっこう:功績を上げる道)を示し、職務を全うさせる。
三軍(さんぐん:全軍)の戒めは三日以内に貫徹し、小隊の警命は半日以内に、個人の禁令は瞬息(しゅんそく:一瞬)で実行する。敵が疑惑に揺れる隙を突き、迅速に攻撃すれば、必ず服従(ふくじゅう:従わせること)できる。これが、戦の機敏な対応である。
戦は、力(りょく:戦力の充実)で持久し、気(き:士気の高揚)で勝利を掴む。陣を堅固にすれば長く持ち、危機に直面しても勝利を収める。兵の心が固く、新たな朝気(ちょうき:活気)が漲(みなぎ)れば、戦は必ず勝つ。甲(かぶと:鎧)で身を守り、兵(へい:兵器)で敵を制する。これが、戦の鉄則である。
戦車は密集して堅固に、歩兵は坐陣で安定し、甲は重厚に、兵器は軽快に運用する。これにより、軍は揺るぎなく、戦は勝利に導かれる。兵に勝心(しょうしん:勝利への志)が芽生えれば、敵情を精査し、畏怖の心が生じれば、将の威厳か敵への恐れかを分析する。勝心と畏怖を調和させ、両者の利点を活かす。将の権衡(けんこう:判断力)が、これを左右する。
戦は、軽装(けいそう:小規模な軍)で軽装を攻めれば危険、重装(じゅうそう:大規模な軍)で重装を攻めれば功を挙げず、軽装で重装を攻めれば敗れ、重装で軽装を攻めれば戦うべきである。ゆえに、戦は軽重(けいじゅう:兵力の大小)の駆け引きである。
駐屯(ちゅうとん:野営)では甲兵(かぶとと兵器)を厳整し、行軍では行列を整え、戦闘では進退に節度を持たせる。将が慎重なら目的を達し、率先垂範(そっせんすいはん:自ら範を示す)すれば兵は従う。将が急躁(きゅうそう:焦り慌てる)なら軽率に、从容(しょうよう:落ち着いて)なら持重(じちょう:慎重)に進む。鼓音(こおん:太鼓の合図)は急なら速く、緩なら徐々に進む。軽装は敏捷に、重装は堅実に行動する。
堅固な戦車と鋭利な甲兵を備えれば、少数の軍も大軍の力を発揮する。将が同調(どうちょう:迎合)に流されれば功を成せず、専断(せんだん:独裁的)なら殺戮を招き、貪生(たんせい:生き残りへの執着)なら疑心を生み、死を恐れぬだけでは勝てない。
兵は、恩愛、激怒、威圧、義、利のために命を捧げる。法令で死を恐れさせず、道義で正義のために死ぬ心を養う。これが、将の務めである。
戦の勝敗は、天時(てんじ:自然のタイミング)と人心(じんしん:民の心)に懸かる。全軍の号令は三日、小隊は半日、個人は瞬時に実行する。最善は謀略(ぼうりゃく:戦略)で勝ち、次は攻戦(こうせん:直接戦闘)で勝つ。全局を掌握し、細部を押さえ、権衡して決断する。
勝利は、全軍が一人如(ひとりのごと)く団結して初めて得られる。鼓(つづみ:指揮の太鼓)は、旌旗(せいき:軍旗の開閉)、戦車、馬、歩兵、交戦、隊形、起坐(きざ:起立と着座)の七令を統べ、軍を動かす。
戦力強大なら、過度に持重せず、力を使い尽くさず、危地を避ける。布陣は難しくないが、兵に陣を熟習させるのは難く、熟習させても運用は更に難しい。知ることは易く、行うことは難しい。
人の性(せい:性格)は州(しゅう:地域)により異なり、教化は習俗(しゅうぞく:慣習)を形作り、道はこれを統一する。兵器の鋭さ、甲の堅さ、車の強さ、馬の良さ、兵の多さを自慢せず、戦の道を究めねば勝利はない。
勝利は衆と分かち、再戦では賞罰を厳格に、敗北は自らを省みる。再戦では先頭に立ち、過去の戦法を繰り返さず、勝敗に関わらず正則(せいそく:正しい原則)を守る。
戦に臨むとき、まず軍中の爵位(官職や位階)を定め、功罪を明らかにする。賞罰の基準を厳格に示し、遊士(ゆうし:諸国を巡る有能な士)を登用し、教令(軍の命令や規律)を布告する。広く部下の意見を求め、技芸(ぎげい:技術や才能)に優れた者を集め、多角的に事態を検討し、疑惑を払拭する。力を蓄え、巧妙な策を練り、民心(民の志向や士気)の動向を見極めて行動を起こす。これが、戦を始める前の揺るぎない備えである。
戦においては、軍心を固め、利害を明辨(めいべん:明確に判断)し、混乱を治め、進退に節度を持たせる。義(ぎ:正義)に服し、廉恥(れんち:恥を知る心)を鼓舞し、法令を簡潔にし、刑罰を控えめに運用する。小さな罪を見逃せば、それが大罪を誘発する。小罪を厳しく抑えることで、軍の規律は保たれ、勝利への道が開ける。
戦を成功に導くには、五つの考慮が欠かせない。
これら五慮(ごりょ:五つの考慮)が、戦の基盤を固める。
五種の兵器は、それぞれの役割を果たす。長兵(ちょうへい:槍など長い武器)は短兵(たんぺい:剣など短い武器)を守り、短兵は長兵の不足を補う。輪番で戦えば持久力を保ち、全てを投入すれば圧倒的な力を発揮する。敵の新兵器を見れば、速やかに模倣し、戦力の均衡を保つ。これが、戦の巧妙さである。
将の心は軍の心であり、兵の心もまた将の心と一つでなければならない。馬、牛、車、兵器を整え、兵士を休息させ、飢えを満たす。これにより、軍の戦力は盤石(ばんじゃく:揺るぎない)となる。教練(きょうれん:訓練)は平時から怠らず、戦闘では指揮の節度を保つ。将は軍の躯幹(くかん:体の中心)であり、兵は四肢、伍(ご:五人一組の小隊)は指のごとく、統率が一体となって初めて戦力は最大となる。
戦を制するには、智(ち:知謀)で指揮し、勇(ゆう:勇敢さ)で戦い、巧(こう:巧妙さ)で布陣する。己の望むことを実現し、己の能力の範囲で行動する。敵にはその意に反すること、能力を超えることを強いる。これが、戦の権謀(けんぼう:策略)である。
戦には三つの要素が不可欠である。
これらを備えた軍は、将士が任務に尽力し、楽人(らくじん:喜んで働く者)として戦う。
強大な軍は、軽快な戦車、精鋭な歩兵、堅固な弓矢で構成される。陣は密静(みつせい:静かで集中)にして内力を蓄え、進退は時宜に適う。指揮官は余裕を持ち、兵は熟練し、各自が職務を全うする。敵情を洞察(どうさつ:深く見抜く)し、突発事態に対応する。これが、戦の備えの極致である。
軍の布陣は、疎(そ:間隔を空ける)で兵器を扱いやすく、密(みつ:密集)で戦闘力を高める。兵力、地形、敵情に応じ、攻守進退を的確に定め、戦車と歩兵を協調させる。これが、戦の要諦である。
しかし、戦には患(うれい:災い)が潜む。不服、不信、不和、怠惰、疑惑、厭戦、畏怖、分裂、疲弊、放縦(ほうじゅう:勝手気ままな行動)、崩壊、弛緩(しかん:規律の緩み)は、軍を滅ぼす元凶である。驕り、過度の恐怖、騒乱、優柔不断、朝令夕改もまた、軍を破滅に導く。
戦は、大小、堅柔、参伍(さんご:三五の編成)、衆寡を状況に応じて使い分ける権変(けんぺん:柔軟な対応)が求められる。遠くは間諜(かんちょう:スパイ)、近くは観察で敵情を探り、時と財力を活かし、軍内に信を重んじ、疑いを排除する。
戦は義(ぎ:正義)を掲げ、時宜を捉え、恩恵(おんけい:慈悲や厚遇)で人を動かし、敵には冷静に、混乱には余裕で、危機には兵を忘れずに対応する。治国は恩と信で民を導き、治軍は寛容と威厳で兵を統べ、戦場では果断(かだん:決断力)と敏捷(びんしょう:素早さ)で臨む。これにより、国は愛され、軍は敬われ、戦場で信を得る。
戦は、士気を鼓舞し、規律を布くことから始まる。兵には和顔(わがん:穏やかな態度)で接し、誠実な言葉で導く。畏怖を戒め、適材適所で用い、敵地では地形を制し、職務に応じた任務を課す。これが戦法である。
法は民の求めに応じ、名実共に効果を上げるものとする。実行が不十分なら、将自らが範を示し、徹底させる。法が定着すれば、民はこれを忘れず、繰り返し実践することで規範となる。これが、法の真髄である。
軍の混乱を治めるには、七つの道がある。
軍法を立てるには、七つの原則がある。
軍法は、将が主導し(専)、上下が一貫して従う(法)ことで成り立つ。小さな噂に惑わず、小利を貪らず、計画は迅速に、行動は秘匿して行う。これが、軍を治める道である。
仁は人を親しませるが、信なき仁は破滅を招く。用人(ようじん:人材登用)は適材適所、自己を正し、言辞は厳正、火攻は適切に運用する。戦は士気を高め、規律を布き、和顔で教え、恐れを戒め、適所で使い、敵地では地形を制す。これが、戦の法則である。
義で敵を感化し、力で威圧し、天下を統一する形勢を作り、敵の民を我が方に取り込む。これが、戦の究極の勝利である。
天子の義(正義や道徳に基づく行動)は、天地の理に学び、古代の聖王の教えを鏡とすべきである。天子の振る舞いは、自然の法則と先人の智慧(知恵)に根ざし、国の礎を揺るぎないものとする。これにより、民は君主を仰ぎ、国は調和をもって治まる。
士庶(ししょ:士大夫と庶民)の義もまた、父母の教えを尊び、君主や長上の指導に忠実に従うことで保たれる。親の教えを心に刻み、君主の命を正道として歩むことで、士も民もその役割を全うするのだ。
たとえ君主が明哲(聡明で徳が高い)であっても、士や民に事前の教化(教育と道徳の涵養)が施されていなければ、その力を引き出すことはできない。古の賢者は、まず民を教え導き、その心を一つにまとめた。それゆえ、君主は民をただ使う前に、徳と義を植え付ける努力を怠ってはならない。
古の教化は、貴賤(身分の上下)の秩序を定め、人倫(人間関係の道徳)を明らかにした。これにより、上下の者が互いに凌辱(侮辱し合うこと)せず、徳と義が乱れることなく、才技(才能や技術)ある者が埋もれず、勇猛な者が命令に背くこともなかった。こうして、民は心を一つにし、力は調和して国を支えた。
古来、朝廷の礼儀は軍に持ち込まず、軍の礼儀は朝廷に持ち込まなかった。これにより、徳と義が互いに混淆(入り混じること)を避け、それぞれの場で純粋に保たれた。朝廷では温雅(穏やかで上品な態度)が重んじられ、軍では剛毅(力強く毅然とした態度)が求められた。この峻別(厳格な区別)が、国の秩序と軍の規律を支えたのだ。
君主は、不伐(自らを誇らない)の士を重んずるべきである。不伐の士は、君主にとって宝器(貴重な人材)である。彼らは欲を求めず、故に争わず、常に謙虚に国のために尽くす。朝廷がこのような者の意見を聞けば、真実の声を知り、軍がその進言を受け入れれば、事は適切に進む。これにより、才技ある者が埋もれることなく、その力を遺憾なく発揮する。
命令に従う者には最高の賞を与え、命令に背く者には厳しい罰を下す。これにより、勇猛な者も命令に逆らうことなく、軍は一糸乱れぬ統制を保つ。賞罰の厳正さは、軍の力を結集し、勝利へと導く要である。
民に教化を施した後、慎重に選抜して任用する。これが、君主の務めである。事業が整い、官吏が職務を全うすれば、国は繁栄する。教化が簡明(簡潔で分かりやすい)であれば、民は正しく育ち、習慣が定まれば、民は自然と規範に従う。これこそ、教化の至高の成果である。
古の戦では、敗走する敵を遠くまで追わず、退却する敵を過度に追い詰めなかった。遠追しなければ敵の誘いに乗らず、過度に迫らなければ罠に陥らない。これが、戦の知恵である。
軍は礼を規範として固く団結し、仁を旨として勝利を収める。勝利の後にも、礼と仁をもって民を教化し、秩序を回復する。この道を貫くからこそ、君子(徳ある者)はこれを重んじた。
古の王朝は、戦に臨む際、それぞれの誓いをもって民を導いた。
夏は徳を以て天下を治め、武力を使わず、ゆえに兵器は簡素であった。殷は義を掲げ、初めて武力を用いた。周は力に依り、様々な兵器を駆使した。三王朝はそれぞれ異なるが、徳を民に示す心は一つであった。
夏は朝廷で功を賞し、善を奨励した。殷は市で罪を罰し、悪を戒めた。周は朝廷で賞し、市で罰し、君子を励まし小人(徳なき者)を震え上がらせた。三王朝の方法は異なれど、善を尊ぶ精神は変わらない。
兵器は多様に組み合わせなければ、戦の効力を発揮しない。長兵(槍など長い武器)は短兵(剣など短い武器)を守り、短兵は近接戦で力を発揮する。長すぎれば扱いづらく、短すぎれば敵に届かず、軽すぎれば脆く、重すぎれば鈍い。兵器の調和が、戦の勝利を支える。
兵車(戦車)の名もまた、時代を映す。
旗帜(きし:軍旗)もまた、精神を表す。
徽章(きしょう:軍の紋章)も同様である。
軍を治める際、威厳(厳粛な権威)が過度なら士気は萎縮し、不足すれば統制が乱れる。君主が徳を尊ばず詐欺を重んじ、勇力のみを頼り、命令に従う者を軽んじ、暴行を働く者を重用すれば、威厳は失われ、民は従わなくなる。
軍は舒緩(じょかん:ゆったりとした動き)を旨とし、兵の力を温存する。戦場では、歩兵は急がず、戦車は疾走せず、追撃は隊列を乱さず、秩序を保つ。これが、軍の不敗の秘訣である。
朝廷では温文(穏やかで礼儀正しい態度)を重んじ、恭謙(きょうけん:謙虚で敬意ある姿勢)で君主に仕える。軍では、昂然(こうぜん:堂々と立つ姿勢)と果断(決断力ある行動)が求められる。軍の礼儀が朝廷に入れば民の徳が廃れ、朝廷の礼儀が軍に入れば武の精神が弱まる。ゆえに、礼と法は表裏一体、文と武は左右の翼のごとく、互いに補い合う。
古の賢王は、民の徳を称え、善行を奨励した。ゆえに、徳は廃れず、民は規範を守り、賞も罰も不要であった。有虞氏は賞罰を用いず、徳の力で民を治めた。夏は賞のみで教化を成し、殷は罰のみで威を振るった。周は賞罰を併用し、徳の衰えを補った。
賞は速やかに与え、善行の利益を民に知らしめる。罰は即座に執行し、悪行の害を明らかにする。大勝しても賞さず、上下が功を誇らなければ、驕り(傲慢さ)は生まれない。大敗しても罰さず、上下が自らを省みれば、過ちは正され、罪は遠ざかる。これが、謙譲(謙虚に譲り合う心)の極致である。
古の時代、聖なる統治者は仁愛(人々を慈しむ心)を政治の礎とし、義(正義や道徳)をもって国を治めた。これこそが「正」と呼ばれる真の政治である。仁と義を貫くことで、民は心から君主に帰服し、国は揺るぎない安寧を築いた。
しかし、正しい統治だけでは目的を達せられない時、君主は権(権謀や力による支配)を用いた。この権は決して軽々しく振るわれるものではない。それは戦の炎の中から生まれ、仁や中庸(穏やかで調和の取れた態度)からは生まれない。戦を通じて初めて、国の威厳と力を示すことができるのだ。
戦とは、ただ破壊するものではない。悪を滅し、民を救うための手段である。ゆえに、悪人を誅(罪を裁き、殺す)して万民を安んじるならば、そのような殺戮は許される。他国の民を苦しみから解放し、愛護するためにその国を攻めるならば、その戦は義に適う。さらには、戦の嵐を起こして戦乱を終息させるためならば、剣を振るうこともまた正しい。
仁ある君主は、国内で民の愛戴(深い敬愛と支持)を得ることで、国を守る力を蓄える。対外では、威厳(堂々とした風格と力)をもって敵を圧倒し、勝利を掴む。これが、仁と義が織りなす統治の極意である。
戦を起こす際の道は、厳然たる節度を保つことにある。
このように、戦は民への深い愛情に基づき、節制をもって行われるべきなのだ。
国がどれほど強大であっても、戦を好めば必ず滅亡の道を辿る。一方で、天下が太平であっても、戦の備えを忘れれば、必ず危機が訪れる。ゆえに、天下が平定された後でも、君主は春に蒐(しゅう:狩猟を兼ねた軍事訓練)を行い、秋に狝(せん:同様の訓練)を実施する。諸侯もまた、春には軍を整え、秋には兵を練る。これらは、戦の備えを決して怠らないための儀式である。平和の裏には、常に戦の影が潜むことを忘れてはならない。
古の戦いには、礼と徳が息づいていた。
これら六つの徳――礼、仁、信、義、勇、智――を民に教え、国の規範とした。これが、古来より伝わる軍政の道である。
古の聖王は、天の道に順い、土地の特性に適った施策を講じ、徳ある者を官に任じた。官職を明確に定め、爵位(貴族の位)に応じた俸禄(給与)を分け与えた。これにより、諸侯は心から帰服し、遠方の異邦も慕って服従した。争いは消え、戦は止み、聖徳による理想の治世が実現した。
やがて賢王の時代になると、礼楽(礼儀と音楽による教化)や法度(法律や制度)を整え、五刑(五つの刑罰)を定めて国を治めた。不義を働く者を討つため、軍備を整え、剣を手に正義を貫いた。
聖王や覇者は、六つの方法で諸侯を統治した。
さらに、利害を共有し、大国と小国が互いに敬い合うことで、諸侯の和を保った。
不義を働く国に対しては、冢宰(最高執政官)が諸侯に命じ、軍を動かした。その際、罪状を明らかにし、天地神霊と祖先に告げ、征伐の正義を宣言した。
軍に布告された命令は厳格だった。
不義の首謀者を誅した後、天子と諸侯は国を立て直し、賢者を登用し、新たな君主を立て、官職を整えた。これにより、正義の戦が完結し、国は再び安寧を取り戻した。